脳と心理と、その使い方

仲間はずれの痛みは、体の痛みと同じ回路を使う

社会的痛みと脳

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一言でいうと

参加者に、他の2人とオンラインでボール投げゲームをさせ、途中から自分にだけボールが回ってこないようにする。仲間はずれにされたとき、脳では、身体の痛みを処理する領域(前帯状皮質など)が活動した。「拒絶されて心が痛む」は、ただの言葉のあやではなく、痛みの回路が実際に働いていた。

論文が実際に言っていること

fMRIで脳を撮りながら、社会的な排除を体験させた研究だ。使われたのは「サイバーボール」という単純なゲーム。参加者は、画面上で他の2人(実はコンピュータ)とボールをパスし合う。最初は自分にもボールが回ってくる。だが途中から、他の2人だけでパスを続け、参加者は完全に無視される。仲間はずれの、リアルな体験だ。

このとき脳を見ると、身体の痛みに関わる領域が活動していた。特に、痛みの「不快さ」の側面を担う前帯状皮質の背側部(dACC)の活動が高まった。そして、その活動が強い人ほど、後の質問で「つらかった」と強く報告した。

さらに、痛みの調整に関わる右腹外側前頭前野も活動し、これが痛みの苦痛を和らげる方向に働いている可能性が示された。

著者らの結論は明快だ。社会的な痛みと身体的な痛みは、脳の中で回路を共有している。進化的に見れば、社会的なつながりは生存に不可欠だったため、そのつながりが断たれる危機を、身体の傷と同じ「痛み」の警報系で知らせるようになった、と考えられる。仲間はずれが「痛い」のは、比喩ではなく、神経の事実だった。

だから、どう生きるか

社会的なつらさを、「気のせい」や「弱さ」として片づけない。

これがこの研究の芯だ。拒絶、無視、疎外による苦痛は、身体の痛みと同じ回路が発する、本物の警報だ。だから、「そんなことで傷つくのは弱いからだ」という捉え方は、神経の事実に反している。心の痛みを、身体の痛みと同じくらい正当なものとして扱う。自分がそう傷ついたときも、誰かがそう訴えるときも、それを軽んじない。

軽い無視や既読スルーが、なぜこたえるのかを理解する。

サイバーボールで痛みを生んだのは、暴言でも攻撃でもなく、ただ「ボールが回ってこない」という無視だった。それだけで痛みの回路が動く。日常の、既読スルー、会話に入れてもらえない、輪から外される——こうした小さな排除が、思った以上にこたえるのは、この警報系が敏感だからだ。自分が誰かにそれをしていないか、そして自分がそれに過剰反応していないかの、両方を点検できる。

オンラインは、この痛みの警報を大量に鳴らす場だ。

いまの文脈では、ここが重い。SNSは、つながりと排除の信号であふれている。反応がつかない、外される、比べて劣位に置かれる——サイバーボールが痛みを生んだのと同じ構造の「無視」が、常時、大量に流れてくる。この痛みは本物の警報だからこそ、鳴りやすい環境に長くいれば、消耗する。痛みを弱さと責めるのではなく、警報が鳴り続ける場から距離を取る、という対処が要る。

ここからは僕の飛躍だ

この研究は、サイバーボールという特定の状況での、比較的少人数のfMRI研究だ。社会的痛みと身体的痛みが回路を「共有する」という解釈の程度については、その後の再現や再解釈をめぐって議論がある。dACCの活動が痛み特有のものか、より一般的な処理かは、単純ではない。

「SNSの痛みから距離を取れ」は、この知見を今の環境に延ばした僕の解釈で、2003年のこの論文が述べていることではない。

それでも、社会的な排除が身体の痛みと重なる神経基盤を持つ、という中核は、その後の社会神経科学に大きな影響を与えた発見だ。心の痛みを、実在する警報として正当に扱うこと。それがこの一本の使いどころだと思う。

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