ひらめきは、単純作業でぼんやりしている間に育つ
難問を一度抱えてから、頭を使わない単純作業を挟むと、あとでひらめきが増える。ただし、休んだり負荷の高い作業をしたのでは効かない。
その脳の上で、心がどう情報を扱っているか
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難問を一度抱えてから、頭を使わない単純作業を挟むと、あとでひらめきが増える。ただし、休んだり負荷の高い作業をしたのでは効かない。
ゴールに向かって解くやり方は、作業記憶を使い切ってしまい、肝心の「型」を学ぶ余力を奪う。解くことと、学ぶことは別物だ。
後で見られると分かっている情報を、脳は保存しない。代わりに「どこにあるか」を保存する。
覚えたいなら読み返すな、思い出せ。しかも本人には、効いていない感じがする。
同時に何本も走らせる習慣がある人ほど、要らない情報を無視できない。切り替えすら遅い。
意識して同時に扱える情報の量には、はっきりした上限がある。そこが人間の一番狭いところだ。
下手を見抜くのに必要な能力と、上手くやるのに必要な能力は同じ。だから下手な人は、自分の下手さに気づけない。
仕組みを説明しようとした瞬間、「分かっている」感覚は崩れる。馴染みを、理解と取り違えている。
記憶は録画ではない。あとから来た言葉や情報で、見たはずの光景そのものが書き換わる。
学習の総量が同じでも、間隔をあけて分けたほうが長く残る。一夜漬けは、最も損なやり方だ。
一つに集中すると、その分だけ他が見えなくなる。しかも、見えていないことにすら気づけない。
一度に頭に保てる塊は7個前後。だが、何を1個と数えるかは、まとめ方で変えられる。
同じ額でも、失う痛みは得る喜びの2倍以上重い。人は損を避けるために、割に合わない賭けをする。
「やろう」と思うだけでは動けない。「Xの状況になったらYをする」と具体的に決めると、実行率が跳ね上がる。
熟達を分けるのは練習の「量」ではなく「質」。ただし、練習で説明できる差は、思われているより小さい。
使っていなくても、視界にスマホがあるだけで作業記憶が食われる。存在そのものが注意を引く。
選択肢が多いほど良いとは限らない。多すぎると、人はかえって選ばず、選んでも満足度が下がる。
人は起きている時間の半分近く、目の前と別のことを考えている。そして、そのとき幸福度は下がっている。
仮説を検証するとき、人は「当てはまる例」ばかり探し、「反証になる例」を調べようとしない。
記憶に残るかどうかは、時間や反復より「どれだけ深く意味を処理したか」で決まる。
人が感じるリスクは、実際の確率とずれる。制御できず、未知で、恐ろしいものほど、過大に恐れられる。
関連語を並べて聞かせるだけで、提示されていない「核心の語」を、確信をもって思い出してしまう。
人の合理性には限界がある。すべてを比べて最適を選ぶのでなく、基準を満たせば決める「満足化」で動く。
記憶は、覚えたときの文脈と一緒に蓄えられる。思い出せるかは、その文脈が再現されるかで決まる。
授業中にPCで別のことをすると成績が下がる。しかも、その画面が見える隣の席の人まで巻き添えになる。
創造性は、無から生まれる才能でなく、普通は結びつかない遠い要素どうしを、有益な形でつなぐ力だ。
言語は、世界の捉え方に影響する。時間を縦で語る言語の話者は、時間を縦に考えやすかった。
「何もしなければどうなるか」の初期設定が、人の選択をほぼ決める。放置される選択肢が、実質の答えになる。
良い類推は、見た目の似ている点でなく、関係の構造を写す。表面の類似に頼ると、たとえは滑る。