脳と心理と、その使い方

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よく聞く話と、論文が実際に言っていること

脳と心についての通説を、原著に当たって確かめる

通説の多くは、元の論文が言っていないことを言っている。要約の途中で意味が変わったもの、追試で縮んだもの、そもそも結果が逆だったもの。ここでは19件を、原著に当たって一つずつ確かめる。

この記事で扱う論文 25

脳と心についての通説は、たいてい元になった研究がある。問題は、その研究から通説までの あいだで意味が変わっていることだ。要約の途中で別の主張にすり替わったもの、 追試で効果がぐっと縮んだもの、そもそも結果が逆だったもの。

ここでは16件を、原著に当たって一つずつ確かめる。どれもこのサイトで紹介した論文なので、 気になったものは元の記事まで辿れる。

「読み返せば、覚えられる」

これが最も広く、最も損な誤解だ。 テスト効果の実験では、 読み返した群より、一度本を閉じて思い出した群のほうが、後の成績が明確に良かった。

しかも厄介なのは、手応えは読み返しのほうが強いという点だ。 読み返した人は「覚えた」と感じ、思い出した人は「まだ怪しい」と感じる。 感覚を信じると、効かないほうを選んでしまう。

「まとめて集中してやったほうが効率がいい」

総時間が同じなら、間をあけたほうが長く残る。 分散学習の大規模な整理は、 最適な間隔まで示している——いつまで覚えていたいかの、だいたい1〜2割だ。

前日の詰め込みが無意味なのではない。翌日の試験には効く。効くが、そこで終わる。 「効率がいい」の中身が、翌日なのか半年後なのかで、答えは反対になる。

「1万時間やれば、誰でも一流になれる」

これは要約された時点で別の主張になった典型例だ。 元の論文が扱っていたのは 練習の量ではなく質で、効いていたのは「まだできないことを狙い、その場で誤りを直す」 という特殊な練習のほうだった。1万時間という数字は、一流の演奏家の平均を記述しただけで、 そこに到達する条件として提示されたわけではない。

さらに後年のメタ分析では、練習量で説明できる技能の差は分野によって大きく違い、 全体としてはかなり小さいことが分かっている。

「マルチタスクは、慣れれば得意になる」

直感に反する結果が出ている。 メディア・マルチタスクの研究では、 日常的に複数の画面を同時に扱っている人ほど、無関係な情報を無視するのが下手だった。 切り替えの速さでも劣っていた。

慣れた人が上手くなっていたのではなく、注意の散り方のほうが常態になっていた。 これは因果を確定した研究ではないが、少なくとも「やっていれば上達する」という 前提のほうには証拠が無い。

「スマホは、見なければ影響しない」

ブレイン・ドレインの実験は、 スマホを見なくても、触らなくても、机の上にあるだけで作業記憶の成績が落ちることを示した。 別室に置いた条件がいちばん良かった。

そして参加者自身は、影響を感じていないと報告していた。 「気にしていない」という自己申告と成績が一致しないので、自覚は判断材料にならない。

「集中していれば、大事なものは見落とさない」

むしろ逆だ。非注意性盲目の実験では、 パスの回数を数えることに集中した観察者の約半数が、 画面を9秒間横切ったゴリラの着ぐるみに気づかなかった。

注意を絞ることは、絞った外側を見えなくすることとセットになっている。 締切に追われて視野が狭くなっているときほど、前提の間違いを見落とす、という含意はここから来る。

「はっきり覚えているなら、それは事実だ」

鮮明さは、正しさの証明にならない。 事後情報効果の実験では、 事故映像を見せたあとの質問で「ぶつかった」を「激突した」に替えるだけで推定速度が上がり、 無かったはずの割れたガラスを「見た」と答える人が増えた。

DRMパラダイムにいたっては、 一度も出てこなかった単語を、参加者にはっきり「聞いた」と報告させることに成功している。 偽りの記憶は曖昧な記憶とは違い、本物と同じ確信を伴って出てくる。

「なぜそうしたかは、自分がいちばん分かっている」

内観の限界の一連の研究は、 人が自分の判断の理由を正しく報告できないことを繰り返し示した。 実際に効いていた要因(並び順など)を挙げる人はほとんどおらず、 代わりに、もっともらしい理由がすらすらと語られる。

説明が上手いことと、その説明が正しいことは別だ。 自分の意思決定を振り返るなら、記憶ではなく、決めた時点の記録に当たったほうがいい。

「自分は、バイアスに強いほうだ」

これを読んで「たしかに周りはそうだ」と思ったなら、まさにその現象が起きている。 バイアスの盲点は、 人が他人のバイアスは見えるのに自分のバイアスは見えないことを示した。 バイアスの説明を受けた人は、他人がいかに歪んでいるかの理解を深める

だから個人の内省には限界がある。効くのは、判断の基準を先に書く、決めた理由を残す、 他人にレビューさせるといった手続きのほうだ。

「ドーパミンは快楽物質だ」

サルの脳を記録した報酬予測誤差の研究が示したのは、 ドーパミン細胞が予想と違ったときにだけ強く反応するということだった。 予想どおりに報酬が来ても、反応はほとんど起きない。快楽の量を表す信号ではない。

さらにwanting と likingの研究は、 ドーパミンを枯らした動物が甘いものを欲しがらなくなる一方で、 味わったときの「好き」の反応は残ることを示した。 ドーパミンが担っているのは、快楽ではなく「欲しい」の側だ。

「ストレスは、少ないほどいい」

関係は直線ではない。 逆U字——少なすぎても多すぎても成績は落ちる。 軽度で短時間のストレスは注意や記憶をむしろ上げ、強く長引くと海馬や前頭前野を傷める。

つまり目標はゼロにすることではなく、山の頂上あたりに置くことだ。 締切を細かく刻むという実務的な工夫は、この形をした曲線の上では理にかなっている。

「怒りは、出したほうがスッキリする」

実験結果は逆を向いていた。 カタルシス神話の研究では、 腹を立てた相手を思い浮かべながらサンドバッグを殴った群が、 その後最も攻撃的になった。何もせず座っていた群がいちばん穏やかだった。

しかも「発散は効く」と事前に信じていた人ほど、殴ることを選び、そして怒りを持ち越した。 信念が行動を決め、行動が結果を悪くしている。

「笑顔を作れば、楽しくなる」

有名な実験がある。 ペンを歯で咥えて笑顔の筋肉を使わせると、 同じ漫画をより面白いと評価した——1988年のこの結果は、 「表情が感情を作る」証拠として30年近く教科書に載り続けた。

ところが2016年、17の研究室が事前に手続きを登録し、約1900人で再現を試みたところ、 全体として効果は見つからなかった。一部では逆向きの結果すら出た。

身体から感情への経路そのものは、 内受容感覚吊り橋効果など別の系統からも支持されている。 崩れたのは「ペンを咥えると面白く感じる」という特定の効果のほうだ。 方向は採るが、大きさは採らない。 この扱い方でちょうどいい。

「意志力は筋肉のようなもので、使うと減る」

これも同じ道をたどった。 自我消耗の元の実験では、 クッキーを我慢してラディッシュを食べた群が、 その直後の課題を約8分で諦めた。クッキーを食べた群は約19分粘った。

だが出版バイアスを補正したメタ分析では真の効果量はゼロに近いと推定され、 23の研究室による事前登録つきの追試でも、効果はほとんど検出されなかった。

面白いのは、それでも対処のほうは生き延びることだ。 消耗が本物であってもなくても、 「自制を必要とする場面の数を減らす」という設計は損をしない。 機構が分からなくても対処はできる、という例でもある。

「マシュマロを我慢できた子は、将来成功する」

元の研究をよく読むと、待てた子がやっていたのは我慢ではなく注意のそらし方だった。 マシュマロを見ない、別の遊びを始める、味ではなく形を考える。 満足の遅延が測っていたのは意志力というより方略だ。

そして後年、家庭の社会経済的背景を統制した大規模な追試では、 後年の成果との関連はかなり小さくなった。「待てる子」の一部は、 待てば本当にもらえると学習できる環境にいた子でもある。

「期待すれば、伸びる」

ピグマリオン効果は、 ランダムに選んだ児童を「この子たちは伸びます」と教師に伝えるだけで、 1年後のIQが実際に上がったという研究だ。

現象自体は実在する。ただし効果の大きさは、その後のメタ分析でかなり縮んだ。 とくに教師がすでに児童をよく知っている場合には小さくなる。

そして効いている経路が重要だ。念じることではない。 期待された子には、教師がより長く待ち、より多く発言の機会を与え、 より具体的な手がかりを出す。期待とは、割く時間と手数のことだ。 だとすれば「信じれば伸びる」ではなく「手数を増やせば伸びる」と読み替えたほうが使える。

「ひどいことをするのは、ひどい人間だ」

ミルグラム実験では、 白衣の実験者に促された普通の参加者の6割以上が、 最大電圧まで見知らぬ他人に電気を流し続けた。 傍観者効果では、 その場にいる人数が増えるほど、助けに動く人の割合が下がった。

どちらも性格ではなく状況の力を示している。 これは免罪の話ではない。自分もその状況に置かれうるという前提で、 仕組みのほうを設計するべきだという話だ。

「よく当たる性格診断がある」

バーナム効果の実験では、 学生全員にまったく同じ文章を「あなたの診断結果」として配ったところ、 5点満点で平均4.26という高い「当たっている」評価が返ってきた。

誰にでも当てはまる曖昧な記述は、自分だけに当てはまるように読める。 そして心理学の通俗的な話が広まりやすい理由も、たぶん半分はこれだ。手応えは、証拠ではない。

「有意差が出たなら、確かな発見だ」

二重に間違っている。まずp値は 「仮説が正しい確率」ではなく、「仮説が間違っていると仮定したとき、これくらい極端なデータが 出る確率」だ。知りたいことと、答えていることがずれている。 そして「有意」は差の大きさについて何も言っていない。

さらに再現性の危機が示したとおり、 主要誌に載った心理学の論文100本を追試して再現したのは4割ほどで、 効果量の平均は元の半分に縮んだ。有意差が出た1本は、出発点であって結論ではない。

通説が生き延びる理由

並べてみると、生き残っている通説には共通点がある。

  • 手応えがある。 読み返しも、発散も、やっている本人には効いている感じがする
  • 物語になっている。 1万時間もマシュマロも、努力と性格の物語として完成度が高い
  • 一文に要約できる。 要約に耐えない条件(練習の質、家庭環境、効果量)は落ちる

そして落ちた条件のほうに、たいてい本当のことが書いてある。

AIに要約させると、この落ち方はさらに速くなる。サンプルサイズも、追試の有無も、 限界の節も、要約では消える。残るのは、いちばん驚きのある一文だ。 だから元の論文に当たる価値は、道具が便利になるほど上がっていく。

疑い方そのものを知りたいなら、心理学の話はどこまで信じていいのかに、 読み手が使えるチェックリストを置いてある。

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この記事で扱った論文

それぞれ独立した紹介記事がある。気になったものから読める。

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